昨日の夕刊に、日本で来年3月に公開予定の映画『ライラの冒険 黄金の羅針盤』についての記事が載っていました。


この映画の監督クリス・ワイツ氏が来日して、日本の観客が一番、この映画の世界をありのままに受け入れてくれると思う、と語ったそうです。
この映画の原作を、私は2,3年前に読みました。一口で言うと、「とても変わった作品」。
イギリスでは「ハリー・ポッター」シリーズをしのぐ人気と、昨日の記事には出ていましたが、『ライラの冒険』の三部作(1冊目は、『黄金の羅針盤』、2冊目は『神秘の短剣』、3冊目は『琥珀の望遠鏡』)は、「ハリー・ポッター」シリーズとは、全く異なる作風なので、比べることはできないと思います。




私は小学校の2年生ごろから「物語」を読み始め、それから、ん十年。主にイギリスの文学作品を中心に読み続け、読み返していますが、この『ライラの冒険』の三部作は、今まで読んだどの文学作品、ファンタジー作品とも異なる、不思議な設定、道具立てで、不思議な世界が描かれていました。
この『ライラの冒険』の三部作の本は、作品の内容はもちろん「ハリー・ポッター」シリーズとは全く違うし、どれも分厚くて、文字も小さめで、文章そのものも小学生では読みこなせません。
中学生以上でも、文学作品やファンタジー作品を読み慣れていないと、この複雑な世界を頭の中で構築してストーリーを楽しむことは、なかなか難しいと思います。
私は、このシリーズの1冊目『黄金の羅針盤』を読み始めてすぐ、不思議な違和感を覚えました。それは物語が、イギリスのオックスフォード大学の学寮を舞台にしていながら、現実の世界とは異なる、まるで中世のような価値観を持つ世界に描かれていたからです。
「ああ、これは作者が作り出したパラレルワールドだ」と気がついてからも、不思議な感覚がつきまといました。
実体を持った守護霊の設定や、不思議な白くまたちとか、道具立ても本当に変わってます。
普通、作者が作り出した異世界を舞台にした「ハイ・ファンタジー」なら、『指輪物語』や『ゲド戦記』のように、現実世界とは全く違う世界が舞台だけど、この『ライラの冒険』三部作は、現実からずれたパラレルワールドで不思議な物語が展開し、そしてやがて、現実の世界を舞台にした物語も登場します。
パラレルワールドでの物語と、現実の世界の物語が交互に描かれ、ある時点でそれぞれの世界の主人公である少年と少女が出会い、それから更に物語が複雑に絡み合って展開し、これまた風変わりなラストへと続きます。
しいて分類すれば、やはり異世界と現実世界の両方を舞台に描かれる「ロー・ファンタジー」ということになるのでしょうが、それにしても、かなり変わった雰囲気の世界です。
実体化された守護霊や、普通のファンタジーにはまず登場しない、善とも悪とも言い切れない人々などが怒涛の展開を繰り広げます。
どうやら本国イギリスでは児童書とされているようですが、『ライラの冒険』は児童書とは言えないでしょう。いくら日本語にすると漢字の問題があるとは言え、児童書と言い切るには、複雑すぎます。
物語そのものは、おもしろいです。作者のストーリーテリングを堪能できます。
でも、そのおもしろい物語の底流に流れているのは、宗教の持つ偽善性を否定する、骨太の価値観です。
たとえて言えば、ジョン・レノンの「イマジン」の「天国なんか無いと想像してごらん」を連想させるような。このことは、この本のあとがきにも確か、書かれていたと思うけど、この三部作は図書館の本を借りて読んだので、今、確認できません。
そして、やはりあとがきに、「ハリー・ポッターより数倍(?)邪悪だ」と偏狭なキリスト教関係者から批判、攻撃されているというような記述もあったと思いますl。
確かに私も、この本の価値観に共感できるけども、キリスト教社会でこういう本をよく書けたな〜、と思いました。「ハリー・ポッター」シリーズでさえ、一部の人たちから批判されているのですから、この本なら多分もっと強い批判があることでしょう。(それでも、一般の人々に支持されてよく読まれているということに、ホッとしたものを感じます。)
『ライラの冒険』の監督が、特に日本人ならこの世界をありのままに受け止めてくれる、と語ったのは、日本人には宗教のしがらみが少ないからでしょう。
日本人には、特に何かの聖典に照らし合わせて、物語を評価する必要がありません。まっさらに、自分の価値観にのみ従って、その対象となるものを評価すればいいのだから。
この『ライラの冒険』三部作の本の方は、読み手をある程度選びます。文章を読みこなして楽しめるのは、もともと本好きの人たちでしょう。
でも、映画なら、もっとわかり易い形で、観客にこの物語を提供できます。映画も、原作と同じように、三部作になる予定だそうです。
小学生や、中学生以上でも本を読みなれていない人たちには、先に映画を見たほうがいいように思います。
ただ、個人的には実体化された守護霊を想像しつつ、文字を追うのがとてもおもしろかったので、先に想像の余地のない映像として見るのも、ちょっと残念な気がします。
『指輪物語』について思ったことと同じ・・・かな。
(『指輪物語』については、私の本サイトのこちらのページをどうぞ。)


それから、『ライラの冒険』三部作の結末について。これまた全く違う道具立て、ストーリーながら、アリソン・アトリーの『時の旅人』の結末を連想させるものがあります。『時の旅人』は、タイムトラベルもので、一応児童書の範疇に入る物語ですが、ラストには胸を締め付けられるような感動があります。


『ライラの冒険』三部作の結末も同じこと。この分厚い本三冊を読み終えた読者は、大きな感動を味わえます。一口には言えない、複雑な思いを伴う感動です。
この感動はなぜか、と考えました。
『ライラの冒険』三部作も『時の旅人』もファンタジーで、現実にはありえない物語ながら、やはりその物語の中で行動するのは、私たちと同じ感情を持つ生身の人間で、その人間たちがたどり着いた結論・決断は、私たちの現実世界の写し鏡になっているからではないか、と思いました。
平たく言えば、この物語の人間たちも、自分たちも、国や時代、環境がすべて違っても、同じ感情を持った人間、ということ。ファンタジーだって、生身の人間が書いているんですから。
講釈を抜きにすると、『ライラの冒険』三部作はおもしろいよ、でもちょっと読みにくいから、本を読みなれていない人は、3月公開の映画『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を先に見るのもいいかも知れない。で、気に入ったら、2冊目の『神秘の短剣』、3冊目の『琥珀の望遠鏡』を読み進めたら?ということです。


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この映画の監督クリス・ワイツ氏が来日して、日本の観客が一番、この映画の世界をありのままに受け入れてくれると思う、と語ったそうです。
この映画の原作を、私は2,3年前に読みました。一口で言うと、「とても変わった作品」。
イギリスでは「ハリー・ポッター」シリーズをしのぐ人気と、昨日の記事には出ていましたが、『ライラの冒険』の三部作(1冊目は、『黄金の羅針盤』、2冊目は『神秘の短剣』、3冊目は『琥珀の望遠鏡』)は、「ハリー・ポッター」シリーズとは、全く異なる作風なので、比べることはできないと思います。
私は小学校の2年生ごろから「物語」を読み始め、それから、ん十年。主にイギリスの文学作品を中心に読み続け、読み返していますが、この『ライラの冒険』の三部作は、今まで読んだどの文学作品、ファンタジー作品とも異なる、不思議な設定、道具立てで、不思議な世界が描かれていました。
この『ライラの冒険』の三部作の本は、作品の内容はもちろん「ハリー・ポッター」シリーズとは全く違うし、どれも分厚くて、文字も小さめで、文章そのものも小学生では読みこなせません。
中学生以上でも、文学作品やファンタジー作品を読み慣れていないと、この複雑な世界を頭の中で構築してストーリーを楽しむことは、なかなか難しいと思います。
私は、このシリーズの1冊目『黄金の羅針盤』を読み始めてすぐ、不思議な違和感を覚えました。それは物語が、イギリスのオックスフォード大学の学寮を舞台にしていながら、現実の世界とは異なる、まるで中世のような価値観を持つ世界に描かれていたからです。
「ああ、これは作者が作り出したパラレルワールドだ」と気がついてからも、不思議な感覚がつきまといました。
実体を持った守護霊の設定や、不思議な白くまたちとか、道具立ても本当に変わってます。
普通、作者が作り出した異世界を舞台にした「ハイ・ファンタジー」なら、『指輪物語』や『ゲド戦記』のように、現実世界とは全く違う世界が舞台だけど、この『ライラの冒険』三部作は、現実からずれたパラレルワールドで不思議な物語が展開し、そしてやがて、現実の世界を舞台にした物語も登場します。
パラレルワールドでの物語と、現実の世界の物語が交互に描かれ、ある時点でそれぞれの世界の主人公である少年と少女が出会い、それから更に物語が複雑に絡み合って展開し、これまた風変わりなラストへと続きます。
しいて分類すれば、やはり異世界と現実世界の両方を舞台に描かれる「ロー・ファンタジー」ということになるのでしょうが、それにしても、かなり変わった雰囲気の世界です。
実体化された守護霊や、普通のファンタジーにはまず登場しない、善とも悪とも言い切れない人々などが怒涛の展開を繰り広げます。
どうやら本国イギリスでは児童書とされているようですが、『ライラの冒険』は児童書とは言えないでしょう。いくら日本語にすると漢字の問題があるとは言え、児童書と言い切るには、複雑すぎます。
物語そのものは、おもしろいです。作者のストーリーテリングを堪能できます。
でも、そのおもしろい物語の底流に流れているのは、宗教の持つ偽善性を否定する、骨太の価値観です。
たとえて言えば、ジョン・レノンの「イマジン」の「天国なんか無いと想像してごらん」を連想させるような。このことは、この本のあとがきにも確か、書かれていたと思うけど、この三部作は図書館の本を借りて読んだので、今、確認できません。
そして、やはりあとがきに、「ハリー・ポッターより数倍(?)邪悪だ」と偏狭なキリスト教関係者から批判、攻撃されているというような記述もあったと思いますl。
確かに私も、この本の価値観に共感できるけども、キリスト教社会でこういう本をよく書けたな〜、と思いました。「ハリー・ポッター」シリーズでさえ、一部の人たちから批判されているのですから、この本なら多分もっと強い批判があることでしょう。(それでも、一般の人々に支持されてよく読まれているということに、ホッとしたものを感じます。)
『ライラの冒険』の監督が、特に日本人ならこの世界をありのままに受け止めてくれる、と語ったのは、日本人には宗教のしがらみが少ないからでしょう。
日本人には、特に何かの聖典に照らし合わせて、物語を評価する必要がありません。まっさらに、自分の価値観にのみ従って、その対象となるものを評価すればいいのだから。
この『ライラの冒険』三部作の本の方は、読み手をある程度選びます。文章を読みこなして楽しめるのは、もともと本好きの人たちでしょう。
でも、映画なら、もっとわかり易い形で、観客にこの物語を提供できます。映画も、原作と同じように、三部作になる予定だそうです。
小学生や、中学生以上でも本を読みなれていない人たちには、先に映画を見たほうがいいように思います。
ただ、個人的には実体化された守護霊を想像しつつ、文字を追うのがとてもおもしろかったので、先に想像の余地のない映像として見るのも、ちょっと残念な気がします。
『指輪物語』について思ったことと同じ・・・かな。
(『指輪物語』については、私の本サイトのこちらのページをどうぞ。)

それから、『ライラの冒険』三部作の結末について。これまた全く違う道具立て、ストーリーながら、アリソン・アトリーの『時の旅人』の結末を連想させるものがあります。『時の旅人』は、タイムトラベルもので、一応児童書の範疇に入る物語ですが、ラストには胸を締め付けられるような感動があります。
『ライラの冒険』三部作の結末も同じこと。この分厚い本三冊を読み終えた読者は、大きな感動を味わえます。一口には言えない、複雑な思いを伴う感動です。
この感動はなぜか、と考えました。
『ライラの冒険』三部作も『時の旅人』もファンタジーで、現実にはありえない物語ながら、やはりその物語の中で行動するのは、私たちと同じ感情を持つ生身の人間で、その人間たちがたどり着いた結論・決断は、私たちの現実世界の写し鏡になっているからではないか、と思いました。
平たく言えば、この物語の人間たちも、自分たちも、国や時代、環境がすべて違っても、同じ感情を持った人間、ということ。ファンタジーだって、生身の人間が書いているんですから。
講釈を抜きにすると、『ライラの冒険』三部作はおもしろいよ、でもちょっと読みにくいから、本を読みなれていない人は、3月公開の映画『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を先に見るのもいいかも知れない。で、気に入ったら、2冊目の『神秘の短剣』、3冊目の『琥珀の望遠鏡』を読み進めたら?ということです。

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